みゃーこのお話 その2

そうして6年が経ったある日、みゃーこの病気が発覚します。「副鼻腔の腫瘍」。腫瘍は外科手術し最大限取り除けました。しかし検査の結果、「悪性リンパ種」であることが判明したのです。全身に広がる可能性があると言われ、「このままだとあと3ヶ月もつかどうか」。先生にそう言われ意識朦朧やっとの思いで家に着いた私は、家の前で地面に崩れ落ち泣き崩れました。どうしたら良いのかわかりませんでした。身近な人を自分の間近で亡くした経験のない私は、「みゃーこが死ぬわけない」当時、本気でそう思っていたのです。バカバカしいと思われるかもしれませんが、私は本気でした。できる限りの治療をしてあげれば必ず治ると思っていたのです。「みゃーこが私の側からいなくなるわけがない」と。

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病気が発覚する4ヶ月ほど前、実はみゃーこの体調に異常を感じたので即病院に連れて行っていました。しかしその時の先生の診断は「異常なし」。「そんなはずないのにな・・」と思いつつも素人の私はその時言われた通り、様子を見ていました。その結果、4ヶ月後にやはり病気であることがわかったのです。「あの時すぐに処置していれば」「どうして別の先生に診てもらわなかったのか、どうして他の病院に連れて行かなかったのか」。。。言葉では言い表せない後悔が襲いかかります。私は手当たり次第に悪性リンパ腫に効くという治療法や薬を調べ、漢方薬やサプリメントを探して取り寄せました。そして大学病院を紹介してもらい、人間同様放射線治療を受けさせることにしました。できる限りのことをしてあげたい、私は必死でした。でも放射線治療を受けるには毎回全身麻酔をする必要があります。16歳の弱ったみゃーこには大変危険が伴います。そのまま意識が戻らなくなることもあり得るのです。それでも私は必死でした。みゃーこを死なせたくない、その気持ちだけでとにかく必死でした。結局、数回の放射線治療を受けさせましたが、その効果は定かではありません。

亡くなる1週間くらい前から容態は悪化し、先生に入院させるように言われました。数日間病院に預けましたが、ふと思ったのです。「連れて帰りたい」と。主治医の副院長先生に相談すると、私が仕事に行っている間は預けるように、そしてお休みの日は1日に1回は点滴を受けに来るように言われました。そして何かあれば夜中でも良いから電話するようにと。賢いみゃーこ、自分が病気であること、点滴を受けなければいけないことをわかっていたようです。副院長先生の前に座ると、ごねるどころか自分から手を出して点滴を待っていたそうです。痛かったでしょうに、嫌だったでしょうに。。。「こんなに頭の良い子みたことありません」先生にそう言われました。看護師さん達も「点滴を待っている姿はいつも凛として神々しかった」と言ってくださいました。きっと私が必死になっているのが伝わっていたのでしょう。

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最期の日、みゃーこは呼吸をするのさえも苦しくなっていました。主人が大量に酸素の缶を買ってきて、口元に当ててあげました。みゃーこは酸素を吸って一生懸命呼吸していました。頑張っていました。でもおそらくこの酸素がなくなるともう息は出来ない状態です。最後の1本が終わった時、朝の4時頃でした。酸素がなくなると途端に息苦しくなり始めました。主人は泣きながら「みゃーこ頑張れ、みゃーこ頑張れ」と一生懸命言っていました。あんなに「死んでほしくない!」「みゃーこ頑張って!」と強く願っていたのに、最後に苦しむみゃーこを見て私は言っていました。「みゃーちゃん、もう頑張らなくていいよ」と。「みゃーこは十分頑張った。もう苦しまなくて良いよ」私はそう言っていました。私が話しかけて間もなく、みゃーこは息を引き取りました。2008年4月30日。病気発覚から、4ヶ月後のことでした。

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思えば、漢方薬を飲ませたのも、サプリメントを飲ませたのも、放射線治療をさせたのも「みゃーこに死んでほしくない」と願う私のエゴ。みゃーこはそんなこと少しも望んでいなかったかもしれません。ケージに入れて車で移動すること、健康な猫にとっても間違いなく大きなストレスです。ましてや行き先は病院。私から離れてそんな痛いこと、怖いこと、苦いことをされるくらいなら、たとえ寿命が縮んだとしても1時間でも1分でも良いから私の側にいて、ただただ抱きしめて欲しかっただけかもしれません。全ては私の「後悔したくない」気持ちのエゴだったのではないかと、亡くなってから気がつきました。必死な私に一生懸命応えてくれたみゃーこ。痛いことして、怖いことして、苦いことして、ほんとにごめんね。。。
亡くなった朝の6時、副院長先生が自宅に駆けつけてくださり、みゃーこに着けていた管を外しながら私にこう言われました。「死因は老衰です。悪性リンパ腫のせいではありません。ですから本人はそんなに痛みはなかったはずですよ。寿命だったのです」と。先生もまた、必死だった私を思いやってくださったのでしょうか。真意は今もわかりません。

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生きている限り死は必ずやってくる。そして残念ながら、全ての生き物に寿命はあるのです。特に動物は、私達人間よりもそれが短い。悲しいけれども辛いけれども、それを受け入れることもまた、現実を生きるということ。もし私がみゃーこだったら、「もう楽にさせて・・・」と思ったに違いありません。恥ずかしながら、この時生まれて初めて「生とは」「死とは」、そして「これからの自分の生き方」、について本気で深く考えたのです。とは言え、次に同じ日を迎えた時、冷静に受け入れられる自信は全くありませんが・・・。

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みゃーこが亡くなって8年。みゃーこの命日はゴールデンウィーク中です。当時会社勤めをしていた私に最後の最後まで迷惑を掛けないよう、長期連休を狙ったかのように亡くなりました。結局みゃーこが亡くなったことで会社を休むことは1日もありませんでしたし、命日のお墓詣りもいつも夫婦揃って出掛けられます。本当に本当に賢い子です。当時便箋数枚に渡りぎっしりと手紙を書いて棺の中に一緒に入れました。いろんなことを書いてもやっぱり思い浮かぶのはこの言葉。

『ありがとう』

ボロボロでもガリガリでも一生懸命生きていてくれてありがとう。私達のところに来てくれてありがとう。楽しませてくれてありがとう。たくさんの笑顔をくれてありがとう。辛い時にいつも一緒にいてくれてありがとう。いろんなことに気づかせてくれてありがとう。最期まで頑張ってくれてありがとう。。。

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みゃーちゃん、ママですよ。天国で安らかにしてますか?楽しくのんびり暮らしていますか?幸せな時間を本当にありがとうね ♫ みゃーちゃん、大好きだからね、愛してるよ♡。

天使のようなみゃーこ

天使のようなみゃーこ

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2016-04-30 | Posted in Blog 笑顔のまいにち, コメントする » 
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